つるつるハートの子守唄–姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』
素通りできなかった
姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』を読んだ。東大生による強制わいせつ事件に着想を得た小説である。
この本を知ったのは、文藝春秋オンラインに掲載されていた書評で、出版社の紹介ページを覗いてみたら、こんな煽り文句に出くわした。
すべての東大関係者と、東大生や東大OBOGによって嫌な思いをした人々に。娘や息子を悲惨な事件から守りたいすべての保護者に。スクールカーストに苦しんだことがある人に。恋人ができなくて悩む女性と男性に。
(文藝春秋BOOKSより)
心当たりが複数あるので、これは読んでおかなければと思ったが、読むのが怖いという気持ちもせめぎあって、買ったはいいが寝かせてあった。しかし、もう年末なので、今年買った本は今年の内にと思って読んだ。
タイトルからして強烈なのだが、嫌な気持ちや自分の中の偏見や優越感、劣等感を浮かび上がらせる歯垢染色液のような物語だった。
ひたすら曇天な物語
姫野カオルコといえば、過去のエピソードをものすごく巧みに構成していく作家、というのが私の中での印象だ。
今作も、被害者となる美咲、そして彼女が好意を寄せていた加害者のつばさを中心に、事件に至るまでの彼らの生い立ち、生活の描写が連なっていく。
郊外の普通の家庭で育った中学生の美咲の、のんびりとした「ごくふつうの女の子」の日常から物語は始まる。
彼女はやがて高校、大学へと進学し、周りの恋愛模様に翻弄されつつ日々を過ごしている。
都心の教育熱心な家庭で育ったつばさは、傍目から見るとストレスフルな日常を送っている。
他人のことはどうでもよく、小馬鹿にしている。そして、自分もあくまで「東大生」の肩書きで扱われているとの意識を強めていく。
彼の周りの男子学生たちも同様に高いプライドをもって、他人を馬鹿にしている。
作者は、若者の残酷な自意識を残酷に書く。
無自覚に無意識に浴びてきて、自分も吐き出していたかもしれない偏見に冷や汗が出る思いをする。
いずれ事件が起こることはわかっているのだが、どうか出会わないでほしいと思いながら読み進める。事件が起こるのは、物語の後半だ。
終盤、一筋だけ光明が差すが、ひたすら救いのない話が続く。
よくまあこの嫌な物語を描ききったなと舌をまく。
やや大時代的な比喩も登場するものの、そこは姫野節といったところか。
つるつるハートの子守唄
この話の肝は、つばさの心の有り様を説明しているこの点ではないかと思う。
「ものごころついたときから今日まで、引け目というものをほとんど感じた経験がなく、心がぴかぴかしてつるつる」
ぴかぴかでつるつるのハートが、他人の気持ちを想像することができず、残酷さがエスカレートして、悲惨なことを招いた。
そしてこの残酷さを有するのは、何もつばさや共犯の東大生だけではない。
そんなにおれ(我が子)が悪いのか、と言わんばかりで、美咲の心情を慮ることのできない犯人と親達。インターネット上で被害者への誹謗中傷を書き込む人々。
ぴかぴかつるつるハートは、東大や若い男性だけの問題ではない。
では、この心の形を変えるにはどうすればいいのか。
その方法の一つは、本を読み、他人を知ることだと思う。
と言っても、作中人物の國枝が出版している『東大生が教えるムダのない24h』のような本では無い。
そんな効率性からは遠く離れた、一見ムダのような、読むのに時間がかかり、ぴかぴかつるつるハートとは離れたところにいるような人が出てくる本だ。そしてそれは文学の担うところだ。
「人文について考察したり思慮したりするような下級なことはしない」と今作の文中で皮肉めいて書かれているその「下級なこと」である。
物語を読んでいるからって偉いということは無いし、読んでいたって他人を傷つける人はいる。そもそも人に優しくするために読むものでもない。
ただ少し、少しだけ自分のハートを物語に差し出して、他人へのひっかかりをつくる。そのささやかな営みがもしかしたら、凄惨な事件を起こしてもなお輝くハートの形を変えてくれるかもしれない。そんな祈りである。
物語の最初の方のエピソードにこんな話が登場する。つばさが高校生の頃、彼に想いを寄せる女子が、北原白秋の詩を引用して、思わせぶりなメールを送りつけてくる。
平成生まれが北原白秋を使った遠回しな告白などしないだろうとツッコミたくなるが、最後まで読むと、あれは若者のまどろっこしい不器用な自意識と文学的情緒など全く解さない心の象徴だったのかなと思う。
(白秋だから「にくいあん畜生」って遠回しに言っているという解釈は流石に飛躍か。)
ぜひ読んで、と勧めたい本ではない。
読めば嫌な気分になること請け合いだ。
読み手が若ければ若いほどショックを受けるのではないかと思う。
それでも素通りできない何かを感じている人は、読むといい。
見て見ぬふりをしているあなたの一部が浮かび上がるから。