もっと読みたくなる−「早稲田文学増刊 女性号」
今と今に連なる作品を読む
2017年の秋に発行された「早稲田文学増刊 女性号」をこの秋、少しずつ読み進めてきた。書き下ろしが大半で、再録作、翻訳作品も含めて小説、詩、俳句、短歌、エッセイ、評論と幅広いジャンルの「女性と表現」をテーマにした女性の書き手の作品が読める。意欲的なアンソロジーで、作品の掲載はないものの外せない作家については、後半の評論やブックガイドで捕捉されている。
読んでいる間はまるで、展覧会に足を踏み入れたようだった。会期は気にせず、好きな時に好きなように鑑賞できて、好きなだけ作品に没頭できる。絵画や彫刻ではなく、印刷物だからそれは当たり前なのだけれども、一つ一つを渡り歩く感覚が楽しくて、川上未映子がキュレーションした「女性と表現」展に何度も足を運ぶ気分で読んでいった。
知らなかった作家や作品、読んだことのある著者の書き下ろしに驚き、知っている作品との再会に喜び、たっぷりと表現の世界を堪能して思ったのは、今まさに活躍している作家の作品も楽しもうということ。
私はもともと、話題の本はあまり手に取らず、どちらかといえば、見過ごしてきた本があるのでは、と思って過去の作品を読むことが多かったのだが、今の作品、今の表現、めちゃくちゃ面白いではないか、あの作家、この作家、もっと読んでみたい!と興味を惹かれることの連続だった。
過去の作品に目の向きがちな自分に、今の作品も楽しいよ、あなたは今の作品も十分に楽しめるよ、と背中を押してもらって私はこの分厚い会場を後にした。そして最近は、少し意識的に、ここ何年かに出た小説を手に取って、「今」にとどまらない世界に浸っている。
気になった作品
特に何か言いたくなった作品について一言二言。7割くらいは既にtwitterでつぶやいたことだけれど流れてしまうのでここに再録して書き足し。
全体の目次は早稲田文学のページに掲載あり。
私に作曲と演奏と歌唱の才能があったら、ミレーの詩に曲をつけてピアノで弾いて唄いたい。残念ながらどの才も無いのだが、鍵盤の和音の音がぴったりだと思った。
翻訳がリズムを呼び起こしてくれたのだと思う。「人類への呼びかけ」を読んでいたら、なぜかコムアイ(水曜日のカンパネラ)の声で脳内再生された。
■ルシア・ベルリン「掃除婦のための手引き書」(岸本佐知子=訳・解説)
ハードボイルドな作品。
解説で触れられていた5パラグラフ作品の画像を見かけて読んでみたら、”like in Mishima where it takes three pages to take off the lady's kimono"って喩えが出てきて笑った。1ページ作品にこの文を入れるセンス!
■佐藤文香「神戸市西区学園東町」
幼少期の名前の呼ばれ方を題材に選ぶセンスが良い。「FEEL YOUNG」あたりの漫画と同じような匂いがする。
他の俳句作品の人選もこの方が手がけたのかなと思った。
■イーユン・リー「かくまわれた女」(篠森ゆりこ=訳)
根無し草のベビーシッターの話。赤ちゃんと赤ん坊の二通りの表記、元の語はbabyとinfantなのかな。赤ちゃんの性別が書かれていないのが興味深い。
ルシア・ベルリンやジーン・リース、樋口一葉の作品など、再録作品は、居場所の定まっていない主人公の話が多い気がする。
■左川ちか
詩人。旧仮名遣いで書く若い人かと思ったら80年ほど前の若い人だった。
「海の花嫁」の中の「悪い神様にうとまれながら」の一節にぐっときた。自分の中で勝手にファンタジーが沸き上がってくる。
■イ・ラン「韓国大衆音楽賞 トロフィー直売女」(Ko Younghwa=訳)
韓国の女性アーティストが経験した炎上についてのエッセイ。かっこいい人である。この人に原稿を依頼した人もかっこいい。
■堀越英美「女の子が文学部に入るべきでない5つの理由」
笑った。中学3年生の頃の自分に読ませたい。この文章を笑った上で人文系に進学しよう。
著者の『女の子は本当にピンクが好きなのか』も併せて、女子のキャリアを考える上での必読文献。
■永瀬清子
掲載作のうち、「そよ風のふく日に」では、産後の日々をこう表している。
"働ける日の幸福を待ちながら
しばらく憩ふ時間のきれいな水たまり"
澄んだ水で顔を洗ったみたいに気持ちが引き締まる。
少し自分の好みとは違う詩人だと思っていたが、自分が育児に翻弄されている今、この人の言葉が必要なのかもしれない。
■川口晴美「世界が魔女の森になるまで」
あ、これ、読みたかったものだ。と作者も作品のことも知らなかったけれど思った。この作品を読んでいる時、私は森にいる。
実は自分がこのような作品を求めていたと思えるのはアンソロジーの醍醐味。
■古谷田奈月「無限の玄」
死んでもまた現れる父親を巡る家族の話。女性不在の中、家族、生活、故郷、生への執着などが描かれる。
この物語はどこに辿り着くのか、どこに連れて行かれるのか、まるで月夜に迷子になったよう。最後のシーンがこびり付く。
一読した後なぜか「こいつらこの地にしか生えない茸の化身か何かか」という謎の感想が浮かんだ。多分、月夜野という地名のせい。
■ヴァージニア・ウルフ「ロンドン散策–ある冒険」(片山亜紀=訳・解説)
自分が「わたしたち」の一人として、ウルフの同伴者になったつもりで読むとすごく楽しい。気持ちや考えが溢れてしょうがない物書きの友人と1920年代のロンドンを歩く錯覚に陥る。
ウルフはこれまで読んだことなかったけれど、読もう。今の私はけっこう切実に「自分ひとりの部屋」の必要性を感じている。子育てが終わるまで無理そうなのだけれど。
■村田沙耶香「満潮」
これが私の初めて触れる村田作品だったのだが、この作者は、いったい幾つの世界に辿り着いているのだろうかとため息をついて、『殺人出産』を読んでまたため息。読み進めたい作家。次は『コンビニ人間』だ。
■盛可以「経験を欠いた世界」(河村昌子=訳・解説)
女のあわよくばと思う内面と動悸を書く。唐突に安野モヨコ『ハッピーマニア』を思い出した。エネルギーの渦巻いている感じが好き。
■今村夏子「せとのママの誕生日」
ブラックな笑いをもたらすヘンテコな作品。どうして今まで今村夏子を手に取らなかったんだろうと後悔した。
■チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ「イジェアウェレへ―あるいは十五の提案に込めたフェミニストのマニフェスト」(くぼたのぞみ=訳)
”フェミニストとして前提にしなければいけないのは、自分は対等に大切なんだということ”
女児を産んだ友人への手紙。これ、翻訳の単行本出たらいいギフトになるだろうなぁ。
若い母親に向けたアドバイスって、日本だと西原理恵子が筆頭で、波乱万丈を生き抜いてきた西原節も面白いのだけれど、こういうしなやかなに女性の成長をエンパワメントする文章にも側にいてほしい。
さあ、次は何を読もうかな。