すみながし

引っ越しを控えているのに本棚は減らせないまま増える一方

大きな鳥にさらわれたかのよう−川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』

生殖の未来の物語

 人口減社会に関する本を読んでいて(こちらのエントリ)、そういえば、未来を書いたSFって、技術の発展や思想統制の話はあっても、人口減って見かけないよねとふと思ったけれど、以下の記事を読んで、ただの思い込みにすぎないと知った。

 

ディストピア小説には、大きくわけてみっつの方向性があり、ひとつは『一九八四年』や『すばらしい新世界』系の、行き過ぎた全体主義・管理社会下にある人間の意識の変容を描き出すタイプ。ふたつめは、現在の現実世界であっても状況によっては成立してしまう、むきだしになった人間の暴力性を描くもの(後述の、ゴールディング『蠅の王』はそれにあたる)。そしてみっつめは、とりわけ人類の出産にまつわる問題を中心的主題に据えた、いわば女性と生殖の物語の系譜である。

 

江南亜美子「いまこそ読みたい、ディストピア小説8冊 」(i-D)

 

 そこで、記事で紹介されていた作品のうち、川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』を読んでみることにした。理由は、鳥が表題になっているというそれだけ。

 

大きな鳥にさらわれたかのよう

 

大きな鳥にさらわれないよう

大きな鳥にさらわれないよう

 

 

 本書には、14の連作短編が収められている。連作と言っても、前の話とつながりのあるものもあれば、関係がよくわからないものもある。最後まで読み進めていくと、全貌が分かる。

 それぞれの話は一人称で語られるもの、あるいは三人称で一人の人物に焦点を当てているものがほとんどで、「私的」という言葉がよく似合う。

 

 最初の「形見」では、人々は、動物由来の細胞を使って、工場生産されている。次の「水仙」では、「私」が「私」を迎えるところから始まる。三番目の「緑の庭」は、リエンという名の女の子の話。その次の「踊る子供」にもリエンは登場する。

 

 それぞれのエピソードは時代も場所も異なるらしいが、どうも人類は減少して、いくつものグループに分かれて暮らすようになっている。種の有り様も集団によってだいぶ異なるようである。「見守り」という役目の人々がいて、彼らは「母たち」に育てられている。この「母」は、生殖を行う女性とはまた違った存在のようであると少しずつ読み進めていくうちに、分かることもあれば、新たな謎も溜まっていく。

 

 管理され、生殖に重きを置いた社会において、どうしても現れる個性、踊る心、慈しむ相手、喪う悲しみ、争い、自分と異なるものへの恐れが描かれている。壮大な物語は、一人ひとりの人間の物語によって紡がれる。

 

 表題の「大きな鳥にさらわれないよう」は、表題作の登場人物による言葉である。大きな鳥が何なのか、この人物は示さないし、作中にはっきりと示されるわけではない。本作が神話的な物語であることをほのめかしているのかもしれない。ただ、私には、「大きな鳥にさらわれないよう」は読者に対しての言葉のように思えた。

 

 読者はこの本を開くと、大きな鳥に肩を掴まれ、一つ一つの小さな物語を鳥瞰するように旅をしていく。

 飛び飛びに一体何を見せられているのか、これは本当に未来の地球の話なのか、この話はどこへ行くのかと思うと、終盤、鳥は急に爪を立てて、ぞくっとくるエピソードを示す。これは、ありえるかもしれない未来なのだ。そして、最後の物語を見届けた読者は、世界を確かめようと鳥から離れ、もう一度、物語世界に落ちていく。

 これは、そういう形の物語ですよ、覚悟してくださいね、と表題が示唆していたような気がしたのだ。

 

 

そして想起されてしまう鳥とその系譜の物語

 『大きな鳥にさらわれないよう』を最後まで読んで、頭にちらついた鳥がいる。手塚治虫の「火の鳥」だ。『火の鳥 未来編』との共通点と差異が頭の中に浮かぶ。

 

火の鳥 2未来編 (角川文庫)

火の鳥 2未来編 (角川文庫)

 

 

 何がどう同じで違うかを書くとネタバレになるのだが、もしかして、これは川上弘美の「火の鳥」だったのかしらという気がする。ついでにいうと、色んな人生を見せられる構成は、「鳳凰編」の我王や茜丸みたいに、これがあなたがたの未来の姿、子孫の姿ですよ、と見せられているみたいだった。あくまでこじつけの個人の感想だけれど。

 

 『火の鳥 未来編』といえば、施川ユウキ『銀河の死なない子供たちへ』をまだ読んでいなかったなと思って、この機会に読んでみた。

 

 

 

 この作品は、作中に『火の鳥 未来編』(角川文庫版)を読んでいる描写があり、手塚治虫へのオマージュだと思われる。

 人間がいなくなった地球に生きる不老不死の母と二人の子供。生きている人間を探す子供らはある日、宇宙から落ちてきて、出産して息絶えた女性の娘、ミラを育てることになる。

 世界を広げて成長するミラと変わらない二人。二人は何をして、どこに行ったらいいのか。ミラを失った二人は、答えを出す。

 

 凄まじい話が、ほんわかとした絵柄で描かれる。上巻は日常的だが、下巻の展開に心を揺り動かされる。特に、二人の母とミラが対峙するシーンの迫力はすごい。施川作品は室内で展開する『バーナード嬢曰く。』しか読んでいないので、自然の、そして星空の描写に驚いた。(関係ないけれど、私のkindle端末のスリープ画面にいる望遠鏡を構えている女性の絵、この話のイメージとすごくよく合う。)

 

 そういえば、『大きな鳥にさらわれないよう』は、あくまで地表で展開する物語だった。『火の鳥』や『銀河の死なない子供たちへ』のように、宇宙は絡んでこない。川上作品の人類は、宇宙開発を諦めたというか、諦めざるを得ないほど衰退してしまったのかな

 

 さておき、スケールの壮大な話を読んで、勝手にあれこれ想像するのは楽しかった。これがささやかな生活を送る私のささやかな感想。