すみながし

引っ越しを控えているのに本棚は減らせないまま増える一方

物語られてこなかったこと−川上未映子『夏物語』

軽い気持ちで

 出産や子育ての体験記は本やネット上に数多あれども、出産を扱ったフィクション、それも長編小説というありそうで見かけない作品が出たと知って読んでみたのが、川上未映子の『夏物語』。

夏物語

夏物語

 

 

 体験記を読むような軽い気持ちで手に取ったら、こちらの気持ちを揺さぶって問うてくる力強い物語だった。

 

長編へつながるアップデート

 『夏物語』は二部からなる。第一部は、2008年に刊行された『乳と卵』で描かれた三日間を描く。大筋は同じだが、第二部への射程を持った新たな話に生まれ変わっている。

乳と卵 (文春文庫)

乳と卵 (文春文庫)

 

 

 豊胸手術を受けると言って大阪から東京にやってきた姉の巻子とその娘の緑子が、妹である語り手の家に二泊する話なのは相変わらずで、緑子の手記が挿入されるスタイルは同じなのだが、大阪弁で語られる前作とは異なり、物語は書き言葉で綴られる。

 そして、『乳と卵』では何者かよくわからなかった、ちょっととぼけた感じのする語り手、夏子。彼女は『夏物語』において、血肉の通った、はっきりした一人の人物として現れる。

  『乳と卵』は主な登場人物3名だけで展開していたが、姉妹の母や祖母を始め、他の人のエピソードも出てくる。『乳と卵』を読んでいなくても『夏物語』は楽しめるが、比べてみると、長編への布石が見えてくるのでそれもまた面白い。

 

 ちょっと笑ってしまったのが、巻子が乳首の色について言及するシーン。著者のエッセイ『きみは赤ちゃん』に「妊娠すると乳首がアメリカンチェリーの色になるって過去の作品に描いたけれど、実際に妊娠してみたらもっとすごい色になった」という話が出てくる(と記憶しているのだが手元に無いので正確な引用ができない)のだけれど、それが律儀にセリフに反映されている。

 

きみは赤ちゃん (文春文庫)

きみは赤ちゃん (文春文庫)

 

 

様々な声が響く

 女性の身体についての問いをはらむ第一部からおよそ十年後、夏子は作家として生計を立てられるようになっていた。しかし、なかなか長編が書けない。姉の巻子、姪の緑子は大阪で元気に暮らしている。

 38歳になった夏子は、自分の子どもに会いたいという気持ちを抱えている。しかし、彼女にはパートナーがいない。そして、彼女は性行為を苦痛に思っている。

  夏子はある日、テレビのニュース番組をきっかけに精子バンクの存在を知り、精子提供(AID)で子どもを産むことを考え始める。そして、AIDで産まれた男性、逢沢潤と知り合う。逢沢は当事者としてAIDを考えるシンポジウムの運営に参加している。彼は、長年本当の父親について教えてもらえず、自分のルーツを辿れないことを苦痛に思っている。夏子が自分の小説を逢沢に渡したことをきっかけに、二人はたびたび会って話すようになる。

 

「なぜ会いたいと思うのか。自分の子どもがいったいどういう存在だと思っているのか。いったい自分がなにを、誰を、どんな存在を想定しているのか。わたしはきちんと話せなかった。ただ、その誰かもわからない誰かに会うことが、自分にとってとても大事なことだと思っていることを、なんとか言葉をつないで伝えていった。」

「なぜ自分が本当の父親に会いたいと思っているのか、本当のところは自分でもよくわからないのだと逢沢さんは話した。会えないとわかっているから会いたいのか、会うことがいったいなんなのか、考えれば考えるほどわからなくなると逢沢さんは話してくれた。」

 

 夏子は周りの女性と様々な会話を交わす。自分が母を憎んでいたように、いつか自分は娘に憎まれるようになると思っている元バイト仲間。子どもを産まないことが自分にとっては自然で、子育てする人は物好きだと思っている10歳上の編集者。女の人生に男は不要、子どもに出会うために自分が産まれて生きてきたとまで思うようになった作家。酒席で語られるそれぞれの普段は秘められた声が、夏子を通して、読み手にも響いてくる。

  それぞれの女性が語ることは、どこか身に覚えのあるようなことで、どの人に対しても、そういう面もたしかにあります、と認めざるを得ない。特に、AIDで産まれた女性で逢沢の恋人である、善百合子の反出生主義の考え方に、自分だったら何と答えるか、悩んでしまった。

 

「どうしてみんな、子どもを生むことができるんだろうって考えているだけなの。どうしてこんな暴力的なことを、みんな笑顔でつづけることができるんだろうって。生まれてきたいなんて一度も思ったこともない存在を、こんな途方もないことに、自分の思いだけで引きずりこむことができるのか、わたしはそれがわからないだけなんだよ」

 

そこにあるのだけれど、語られてこなかったこと

 あらすじだけ追うと、真面目で堅い物語のように聞こえるかもしれないけれど、そんなことはない。時折、大阪弁の語りが顔を見せ、テンポの良い会話が繰り出される。作家としての日常も描かれるので、もしかして著者自身が実際に遭遇したことが元になっているのかな、などと思ってしまうようなシーンもある。

 家族のあり方、性愛を介さないパートナーシップ、シスターフッド、生殖倫理など、これからの時代にますます表出していくトピックが散りばめられていて、いろんな楽しみ方のできる物語だ。

 

 『夏物語』は『乳と卵』と同様、「そこにあるのだけれど、語られてこなかったこと」が物語になっている。『乳と卵』で、女性の身体を取り上げた頃は、今と違って、生理が公に話題になることは少なかった。(そういえば、タレントの松島尚美が生理用品をプロデュースしたことがあったなと思って、検索してみたら2008年のことだったらしい。当時、テレビ番組で生理用品に言及するのは珍しいなと思った記憶がある。)

 『夏物語』に出てくるトピックも今後、もっと多くの人に語られるようになるだろう。

 

 個人的には、夏子の死生観も興味深い。この物語では、夏子の書いた小説がキーアイテムのひとつになっている。筋はわからないが、作中の人物の感想によると、死者が出てくる連作のような短編集らしい。おそらく、彼女の死生観が表されているはずだ。この小説を刊行したことにより、現在の仕事や金銭が確保でき、この小説が縁で編集者や同業者と出会ったり、逢沢と連絡を取り合うきっかけができたりする。

 彼女の死生観がどういうものか、私にはうまく説明できないけれど、今を生きる親しい人たちの声、死んでしまった懐かしい人たちの声なき声が夏子に流れ込んで、彼女の死生観の表出として、産み出すことは暴力的であることを織り込んだ上で、それでも出産を決意した、そういう風に受け取った。

 

「たった死んだくらいのことで会えなくなるとか消えるとか、おかしなことだと思いませんか。」

 

 彼女たちの物語は、まだまだ続く。前途には、これからも「そこにあるけれど、語られてこなかったこと」が待ち構えているだろう。いつか、また、何年か後の彼女たちに会える日が来るといいなと思っている。